グローバル教育の理論
グローバル教育は、多様な教育を統合し、絶えず成長し変化する教育だと規定することができます。
したがって、グローバル教育を1つのものの見方で「枠」にはめ込むようなことはできません。
しかし、その多様な展開を可能にしている「軸」を見だすことはできます。
ここでは、グローバル教育の基本となる「軸」を、理論的側面から明らかにしてみたいと思います。
グローバル教育の2つの源泉
現在のグローバル教育は、二つの教育思想を一つにまとめたものだと考えられています。
その思想の源泉は19世紀末から20世紀の初頭にまで遡ることができます(8)。
「世界志向」(worldmindedness)の思想
その一つは「世界志向」の思想と呼ばれるもので、古くはコメニウス(J.Comenius)の平和な世界国家のための構想にまで遡ることができます。
しかし実質的には、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、大戦の悲劇を体験した人類が、争いのない平和な世界の実現を目指したことに始まると考えていいでしょう。
この思想は、「国際平和と人類の共通の福祉」を目標に掲げたユネスコの設立にも多大な影響を与え、今日の「国際理解教育」の理念にも受け継がれています。
たとえば74年のユネスコ勧告では、国益重視から地球益の配慮へという新しい視座が提供され、地球的視野にたった教育の必要性が明記されています。
「児童中心」(child-centeredness)の思想
二つ目は、「児童中心」の思想です。
これは、いわゆる新教育運動を支えてきた中心思想で、デューイ(J.Dewey)、モンテッソーリ(M.Montessory)、ニール(A.S.Neil)など、
20世紀を代表する教育者に共通する考え方でもあります。
その最大の特徴は、教科書中心の詰め込み教育の反省にたって、子どもを教育の中心にすえ、子どもの興味?関心を大切にしようとしたことにあります。
知性だけでなく直感や創造力が、また教科書中心ではなく体験学習?協同学習が強調されるなど、子どもの内面の世界への関心が高いという特徴があります。
註
グローバル教育の2つの領域
あまり意識されてこなかったことですが、グローバル教育には、二つの基本領域が認められます。
「グローバル教育の2つの源泉」で説明したように、グローバル教育は二つの思想が一体となったものでした。
このことに注目すれば、そこに「外へ向かう」方向性と「内へ向かう」方向性があることが、容易に理解されるでしょう。
一つは「世界志向」の思想の流れをくむもので、地球的視野にたって「外部の世界」を理解する領域です。
もう一つは「児童中心」の思想を基礎として、学習者の内面、すなわち「内部の世界」に目を向けた領域です。
この点に関して、セルビーは、グローバル教育の基本領域を次のように設定しています(9)。
- 「グローバルな世界」(global world)-「外部の世界」
- 「グローバルな自己」(global self) -「内部の世界」
「グローバルな世界」「グローバルな自己」という語感からも明らかなように、前者は私たちの外側に広がる「外部の世界」を示し、
後者は私たちの内側にある「内部の世界」を指しています。
特に「グローバルな自己」という言葉は、私たちの「内部の世界」もまた「外部の世界」と同じように、
様々な要素が複雑に絡み合って一つの全体をなしているということを表明するものです。
一般にグローバル教育と言えば、地球的視野から地球規模の諸問題を取り扱うというイメージが強いので、「外に向かって」世界を認識する前者の領域の方が良く知られています。
しかし、「内に向かって」自分自身のものの見方や生き方を問い直す領域も、同等に重視されていることを忘れてはならないでしょう。
グローバル教育で、「セルフ?エスティーム(自己肯定感情)」(self-esteem)や「他者への信頼感」といった事柄が盛んに取り上げられ議論されるのも、
「外へ向かう」領域だけでなく「内へ向かう」領域が重視されていることのを物語るものです。
さらに重要なことは、「外へ向かう」学びと「内に向かう」学びとが相互に深く関連し合っているということです。
たとえば「外部の世界」への理解を深め新しい視点を発見することが、「内部の世界」でも自分自身のものの見方、態度、行動を批判的に検討する機会を提供することになります。
また反対に「内部の世界」を見つめ直し自らの可能性を探ることが、「外部の世界」への積極的な関わりを促して、世界に対するより深い理解へと導いていくのです。
このように、グローバル教育では、「グローバルな世界」に対する理解と「グローバルな自己」に対する理解が、不可分に一体であると考えられています。
註
グローバル教育の4次元モデル
ここでは、セルビーとパイクが提言した「四次元モデル」を用いて、グローバル教育が、 「外部の世界」と「内部の世界」をどのように認識しているのかを、 さらに詳しくみていくことにしましょう(10)。 このモデルは、内と外の双方の世界をホリスティックに理解する上で、多くの示唆に富んでいます。
「内部の次元」がモデルの中心に置かれ、それを「外部の次元」が取り囲むように位置づけられています。 そして、「外部の次元」は、さらに 空間?問題? 時間の三つの次元に分けられています。 恐らく、「グローバル」という言葉から、私たちは普通「空間」の広がり(地球)をイメージするでしょう。 しかし、ここでの「グローバル」のイメージは「空間」の広がりとともに、「問題」としての広がり、 過去?現在?未来という「時間」の広がりにも着目していることが重要です。 また各次元を結ぶ矢印が双方向であることにも注意が必要です。 これは各次元が相互に影響し合っていることを示すものです。
空間の次元 (Spatial Dimension)
個人、地域、国家、地球といった空間的な「つながり」を考える次元です。
この地球上に、他の場所と全く関係がなく、他から影響を受けない場所などはないと言っても過言ではありません。
既に述べたように、身の回りにある食品や、新聞?テレビなど情報がどこからきているのかを考えてみるだけで、
私たちの日常生活がいかに地球全体と「つながり」合っているのかが実感できるはずです。
このように相互依存の度合いを深めている世界を、アメリカのグローバル教育研究者であるアンダーソン(L.Anderson)とベッカ-は、
図4のような二つのモデルを用いて説明しています(11)。
どちらも相互的な関係を表すモデルですが、質的に大きなちがいが見られます。
【図4 ビリヤードボールモデルとクモの巣モデル】
ビリヤードボールモデル
クモの巣モデル
まず「ビリヤードボールモデル」は、相互の関係が表面的で、影響が内部にまでは至らないことを示すモデルです。
ビリヤードテーブル上のボールは弾き合うことで互いの位置関係を変えるので、確かにボール同士は相互的な関係をもっていると言えます。
しかしその接触は表面的で、ボール内部の性質が変わることはありません。
アンダーソンとベッカーは、こうしたビリヤードボール的な世界の見方では、現代の相互依存関係を的確にとらえられないと言っています。
一方で「クモの巣モデル」は、さらに複雑な相互依存関係を示しています。
このモデルでは、一つひとつの構成要素がクモの巣で結ばれ、他のすべての要素との関係性なしには、どの構成要素もその特徴をとらえることはできません。
互いに干渉し合い、内部の性質にまで影響を与え合うモデルとして提起されています。
たとえばクモの巣のどこかに触れれば、他の部分に振動が伝わり、全体に影響を与えます。
あまりに強い力を加えると、クモの巣自体が壊れてしまう可能性さえあるわけです。
アンダーソンとベッカーが指摘するように、
私たちはまさに「クモの巣モデル」のような網の目の中で互いに影響し合って生きていると考えられます。
私たちの一人ひとりの生き方が、直接地球全体に影響を与えていると言っても良いでしょう。
「Think globally,act locally」の言葉に象徴されるように、「日常生活」と「地球社会」との関連に気づき、
自分たちの生活を問い直すことが、今切実に求められています。
「日常生活」から「地球社会」を見つめる生き方こそが、「地球市民」として生きることに直結しているのです。
問題の次元 (Issues Dimension)
次に「問題」の次元では、環境?開発?人権?平和など地球上の様々な「問題」が「つながり」合っていることに目が向けられます。
たとえば、自動車の利用による過度のエネルギーの消費は、資源の枯渇を招くだけでなく、燃焼による二酸化炭素の排出が地球の温暖化をもたらします。
温暖化は気候変動の原因となり異常気象を引き起こし、生態系にも深刻な影響を及ぼしています。
それは農作物の収穫にも影響を与え、世界経済を揺るがし、同時に政治的な不安定を引き起こすかもしれません。
さらにそうした社会不安がテロや紛争の引き金になる可能性もあるのです。
上の例からも容易に想像されるように、地球上にある様々な問題は、相互に深く関わり合っていると考えられます。
一つひとつを単独に解決しようとしても、その問題の構造全体を把握しなければ複雑な網の目を解くことはできません。
ものごとを細分化し分析するだけでなく、ものごとの相互のつながりをホリスティックにみることが問題解決の必要条件となっているのです。
また、このような問題の解決には、地球規模の問題について、様々な議論やものの見方があることを学ばなければなりません。
ここで決定的に重要なのは、「パースペクティブ意識」(perspective consciousness)と呼ばれるものです(12)。
すなわち、自分たちの価値観が必ずしも普遍的ではないということを知るということです。
地球上には、年齢?性別?人種?民族?言語?宗教?イデオロギーなどを異にする人々が数多く生活しています。
ですから、自分たちのものの見方だけを基準にして、他者のライフスタイルや行動パターン、価値観や世界観を解釈し批判することは、
大きな危険が伴うということを理解する必要があるでしょう。
他者のものの見方を受容する能力こそが、グローバル教育では重要な役割を担うことになるのです。
時間の次元 (Temporal Dimension)
「時間」の次元では、過去?現在?未来という時間的な「つながり」が考慮されます。
歴史上、多くの賢人たちが提言してきたように、過去?現在?未来はバラバラな期間を表しているのではなく、密接に「つながり」合っていることが知られています。
たとえば、私たちは普通、過去の成功や失敗を学ぶことを通して、現在の社会をより良くしようと考えます。
私たちが生きる現代社会は、紛れもなく過去のさまさざな試行錯誤の結果の上に成り立っているのです。
しかし同様に、現在の私たちの考えや行動が未来の社会にも影響を与えていることを忘れてはならないでしょう。
私たちは、急速に変化する不確実な世界に生きています。
多くの地球規模の問題を抱え、10年後の未来さえ予測できない現代を生きているのです。「世代間の公正」の議論にみるように、
未来の世代にどのような世界を残せるのか、私たちの生き方が真剣に問われているのです。
もちろん、現在を生きる誰にとっても明確な未来を予想することは不可能です。
しかし、わたしたち一人ひとりの選択と行動が未来の世界を形作っていることを忘れてはなりません。
何も選択せず、何も行動しないことでさえ、地球の未来に多大な影響を与えているのです。
望ましい未来のビジョンを描き、そのビジョンを共有していく努力が、現在ほど望まれている時代はかつてなかったと言っていいでしょう。
共に未来を展望することで何を学び得るのか、それが公正な地球社会実現のための鍵を握っていると、グローバル教育は考えています。
内部の次元 (Inner Dimension)
内部の次元では、私たちの「内面の世界」での様々な「つながり」が考慮されます。
認識-ものを知ること-だけが強調されることのないように、認識と、感情、身体、精神などの「つながり」が意識されます。
このようなホリスティックな視点から学習者の「内面の世界」を見つめ直し、自分自身の多様な可能性を発見することが、グローバル教育の出発点となるのです。
そのための鍵となるのが、自分と他者に対する信頼です。
私たちは、互いに認め合い安心して学び合える肯定的雰囲気の中で、はじめて何にも抑圧されない自由な学びを体験することができます。
信頼に支えられた協同の学びこそが、互いに力を与え合う、すなわち「エンパワー」(empower)し合う機会を提供するのです。
またそこでは、「セルフエスティーム」(自己肯定感情)が育まれ、他者との絆はいっそう深く確かなものになっていきます。
不信感や敵意に支配された場で、グローバル教育は成立しません。お互いを知り、信頼し、互いに可能性を秘めた存在として尊重し合うことが、何よりも大切なことなのです。
その上で、グローバル教育は多様な学びを提供しています。
特にアクティビティを駆使した参加型?体験型学習は、学び手のホリスティックな人格形成に欠かせないプロセスです。
人権、環境、開発、平和、ジェンダー、多文化など様々なテーマが、頭だけでなく、心や体とともに学ばれます。
また互いに学び合う多方的な学びは、参加者全員の豊かな可能性の発見に大きく貢献するでしょう。
一人ひとりの可能性がつながり合い無限の可能性を紡ぎ出す世界こそが、グローバル教育が目指す学びの場に他ならないのです。
あとがき
ここで見てきた 空間、問題、 時間、内部 という四つの次元には、それぞれにグローバル教育の中心となる考え方が示されています。 しかし、各次元で取り扱われるテーマは、各ページでの説明にとどまらず、さらに広く深いものです。 さらに詳しい説明は、参考書に掲載されている次の章で展開されることになります。 このページではグローバル教育の全体像を把握することを目標に、大きな視野からその特徴をとらえてきました。 グローバル教育の大まかなイメージをつかむことができたでしょうか。 これからは、いよいよグローバル教育をさらに具体的に理解していくことになりま まず最初に、私たちの外側に広がる「グローバルな世界」について、考えていくことにしましょう。 グローバル教育が、この世界をどのように認識しているのかが、さらにはっきりと見えてくるはずです。
註
「パースペクティブ意識」は、ハンベイが導入して以来、 「グローバルなものの見方」の中心概念として、多くのグローバル教育論者の間で使用されてきた。